日記

じぶんの『食』・身の回りの『食』に想いを馳せよう。


↑やさいやふうどの午前中は“闘い”です。各地から届く野菜/果物/食材を一気に陳列&袋詰めします↑
 
こんにちは。店長ノムラです^^
「有機?農薬?〇〇栽培?フェアトレード?食育?SDGs?」
八百屋仕事を始めた当初から現在まで、現れては消えるこれらのトピックワードを巡り、
時に悶々とした“問い”が、とある投稿から転じて晴れたように思います。
 
まとまらないけど書いてみます。
自己を省みつつも、食&農業関係者、誰も味方がいない投稿かもしれません(^^;
 
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食と環境保全をつなげ、
食の見直しや農の意義(大半は有機農業の推進)を語る人がこれまで多かったように思います。
 
以前から『環境負荷(保全)・有機農業・食』の3要素をつなげた表現を用いる場面。
たくさんたくさん見てきました。私が大学生だった20年前も同じこと言ってました。
でも20年ほぼ改善されてないことをふまえると、『 』内を掲げることの意味を考えてしまいます。
 
『環境負荷』と『農業』の関係、ごくごく一部は改善されているような気もします。
※末尾補足1へ
 
残る1要素。肝心の『食』は足元から崩れまくっているように思えて仕方がありません。
 
ひとりひとり、自らの『食』生活について考える
 
環境問題や農業問題も大切ですが、トピックワードに流されず、
自分の『食』を思い浮かべ、整えながら、身の回りで起きる出来事を考えてみませんか。
※単なる正解不正解ではありません。末尾補足2へ
 
できれば低価格で低カロリー低糖質低脂質で、
できれば手をかけず袋を開ければ食べれて、適当な栄養摂取と満腹中枢の充足が得られれば良い。
できれば添加物使わない良い材料で。
できれば世界の環境保全にも役立つような。
 
そんな他人事のように『食』がいつでも無限に選べると思い込み、
誰かの尽力で『目の前にある食』が成立していることを忘れた人が多くなったように思います。
こだわりたい(≒満たしたい)条件、どんどん増えていませんか? ※アレルゲンetc.身体上の制約を除きます
 
視点を変えます。
「自分の『食』を考えてみて」と書きましたが、「常に100点の食を」とは書いてません。
こだわり・条件的願望が増える一方、多くの人は神聖な食生活を望んでいません。
時に自炊して、買って、外食します。たまに気づいて律すればいいんです。
それぞれの食産業はそれぞれの需要があって成立し、一次産業は供給面で支えています。
 
食育を語る必要もありません。語らず、日々の実践こそ。※末尾補足3へ
“食育というワード”使って仕事にしたい人だけが語る食育ってなんだろうかと感じます。
“食育が想定する世界”の前段階・前々段階で崩れはじめていることにもっと目を向けてほしい。
 
図らずも家メシする機会が増えた2020年3月。
自分の『食』に“食欲”があるのか、ルーツやポリシーや共通性があるのか。
こだわるとしたら何を優先しているのか。こだわりすぎて自滅していないか。
はたまた何も考えてなかったか。
普段の『食』を思い浮かべてちょっと整える、普段の買い物に反映させる。
お子さんや旦那さんに夕ご飯の準備を手伝ってもらう。食べ物についてどんな話題でも良いので話す。
そんな時間に充ててみる、今は良いタイミングなのかもしれません。
 

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※補足1
農業が強いる環境負荷の“度合い”は年々低くなっているような、なっていないような。
①農薬使用制約がかなり厳しくなりました
②一方で、農薬を使わない栽培でも、石油資材&動力はたくさん使います。農業資材は増えたかも。
 
※補足2
食生活の解は1つではなく、多くは正解。たくさん正解。
時に正解で不正解。今と過去と未来で最適解も変わります。
自分自身に合っていれば正解ですが、他人には不正解に映るかもしれない。
そんな各々の正解や不正解を責めず、同調を求めず、無視せず認め合ったり尊重(not忖度)する感覚も大切です
 
※補足3
“食育”はアピールするものではないですよね。1ワードで片づけてよい内容でもない。日常そのもの。
「普段の食生活をたまには考える・自炊&外食のバランスを心がける」でよいはず。穿った見方でしょうか(^^;
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