多様性ある社会ってナニ?~さよなら平成、さよなら昭和【1】
いま現在2019年=平成31年。平成最後の年です。昭和53年生まれの私は、採用面接の履歴書で見た「平成」や「H.」の文字に目がパチパチしたこともありました。いまや平成1ケタ台(2ケタ前半もか)は立派な社会人~中堅どころ。ついに私もおぢさんになってしまったのですね。。
大量生産大量消費、皆同じモノに憧れ「一億総中流」に向かった昭和から
ネット普及〜嗜好の細分化〜「個」の時代到来といわれた平成。
スマホ普及〜まもなく平成も終わる2019年現在。
そこかしこで出てくる『多様性』という言葉。
本当に様々な場面でいいように使われていますが、私は簡単に言葉に出るような”ふわっとした”テーマだとは思っていません。
私達はこれから迎える『多様』を考え、向き合う必要があります。
『多様』の対義語は『画一』だったかと思います。
これまでの日本社会は『画一性』ある発展が大前提でした。
今後浸透するだろう『多様』な社会は、その真逆を行きます。
テレビ新聞の「世論」や
地域や趣味嗜好といった一定の枠内に構築される「コミュニティ」といった、
普段私達が”世間・世の中・雰囲気”と表現している、でも実は実体のない無形の同調圧力
日本社会は“同調圧力”に慣れています。
感情や意見をぶつけないよう、穏やかに暮らすことが大好きで、『和』としてプラスに働く面も大いにあります。
しかし『和』にならなかった領域、つまり世間体や雰囲気といった同調圧力に屈し、意思決定してこなかった部分の「改善」が求められているのではないでしょうか。
『多様』な社会は同調圧力以外のナニカと向き合っていく必要があるのでしょう。
また、各種メディア・ネットから発信される抱えきれない無限の情報から「選ぶ」チカラも求められるでしょう。
要は、今後さまざまなタイミングで
個人の意思決定/判断を求められる機会が圧倒的に増えます。
#産直八百屋の矜持
#モノサシを持とう
#多様性社会