祖父・祖母を送りました。
※10/28より営業を再開いたします※
店長ノムラです。急きょ、お休みをいただきました。
10月22日。営業を終える間際に連絡あり。
祖父が91歳で他界しました。
小康状態と聞いていたので驚き、月曜火曜と実家~店を往復して営業。
通夜~葬儀を含め4日間お休みしました。ご心配・ご不便おかけしました。
また出荷予定だった生産者皆様、調整ありがとうございました。
長期にわたり入院していましたが、頭は明晰。声もうるさいくらいに大きく明朗。
先月私が見舞いに行った際も祖父はしっかりゆっくり話していました。
死去した当日の朝も看護師さんといつも通り会話をしていた様子。危篤から臨終まで数時間でした。
両親は(今年4月に他界した)祖母の法事一式を終えホッとした矢先。
ともに働きながらの4年弱、祖父祖母が家に居た頃からだと10年弱の看病。本当にお疲れさまでした。
私の地元集落は(田舎暮らしの人が聞いてもびっくりするレベルの)地縁社会です。
ご近所組合ともいえる”隣組”が機能し、都会では現在ほとんど行われない”通夜ぶるまい””精進落とし”もあります。
祖父祖母とも同い年で同じ年に他界。
住職さんが講話で仰った通り「阿吽の呼吸」で祖母に呼ばれたのかもしれません。
両親は危篤の知らせから(葬式や法要が終わるまで)丸5日間、気を張っていたと思います。
通夜翌日の葬儀は朝9時過ぎから夜7時までの長丁場。
私は弟とともに、仏事や式進行で手が回らないところ、実家の家事をサポートしていました。
葬儀当日、急ごしらえで孫一同を代表した”お別れの言葉”を述べることになりました。
自分が忘れたくないだけですが、おおまかに記しておきたいと思います。
今日この感情を忘れないよう。
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祖父が現在の地に居を構えてから父・私と3世代。大学に入るまでを地元で過ごしました。
私は現在、都内で八百屋を営んでおりますが
両親共働きだった小さいころに祖父母に教わった”読み・書き・計算”は現在の仕事の土台になっています。
また、(地元に住む間)地域や親族さまざまな世代の方と話し交流したことが活かされ、
今ではおじいさんおばあさんから、初めてのおつかいをする小さなお子さまに至るまで
地元商店街の幅広い年代の方に来てもらえる八百屋が営業できています。
私が個人事業主となってからも、商いをしていた祖父は時に小言のように”商売のなんたるか”を伝えてくれました。
入院してからも、驚異的な体力と意志で”生きる力”を伝えてくれたように思います。
本当にありがとうございました。ゆっくりお休みください。
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強力な地縁社会は面倒見がいい反面、しきたりも多く煩わしい場面も多いです。
それでもそのご縁の中で住まいを持ち、一体となって生き、多くの方に見守られつつ送り出してもらえる。
現代社会の中ではとても『贅沢』なことのようにも思えました。
田舎も都市も同じで、変化や老化の激しい時代です。
生前から祖父母に「これからをどう生きていくのか」を問われていたように思いますが
世帯も持たず未だなかなか答えを出せずにいる”親・親不孝”な孫です。
ずっと頑張り処ですが、もう少し試行錯誤を続けようと思います。覚悟が足りないのかな。
今年は臨時休業が多くご不便をおかけしています。
11月も臨時休業日があります。
事情が事情ですのでご理解いただければ幸いです。改めてお知らせいたします。